受動型ASのイメージがやっと明確になったことで、やっと発達障害全体の問題を考える段階に来た。
この段階で「発達障害の根本問題」をまとめておこう。
発達障害の根本問題(2012年3月)
ADHDの本質は衝動統制の障害、ASの本質は対人関係の愛着の障害である。
いずれも多数派に見られる様に「空気」で適度に制限・制御されることが無いため、ADHDは甘やかされれば(実は管理されすぎても)自分で衝動コントロールが出来ない大人に成長し、ASは甘やかされれば愛着対象に100%の要求をするようになり、いずれも思春期以降に深刻な不適応を来たす結果になる。
診断とケア上の最大の問題は、「ADHDで依存的になっている例とASを区別すること」である。
なぜなら、本来ADHDには依存は脳の働き上� ��極めて不自然なあり方で、完全に依存関係を取り去っても不健康になることは無いのに対し、ASにとっては依存はむしろ本来のあり方で、依存を完全に取り去ると病的な反応が予想されるからである。
ADHDは幼少期の経過から「衝動コントロールを他者に委ねる」意味での「丸投げ依存」を主なスタイルとすることがありうる。
しかしこの本来の脳のあり方に背くスタイルは思春期以降に社会的に破綻するのみならず、難治性のうつ状態をはじめとするさまざまな(身体を含む)疾患の根本原因となり、唯一の回復は依存から脱することにある。
ASは本来名前のある個人同士の一対一の対人関係を基本とするため、「対等」「平等」という形の一般化は根本的に困難である。
特定の相手が受け入れる限り要求は果て しなくエスカレートする。ただタイプの異なる(ADHDなどの)親との関係で思春期以前に「要求を部分的に諦めるしかない」ことを学習することは可能で、その場合のほうが予後(思春期以降の社会適応)が良い。
思春期以前の養育の方針としては、ADHDでもASでも、「甘やかす」(先回りして困難を解決したり失敗の現実的な尻拭いをする)ことが最も思春期以降の本人を苦しめることになる。
上記のようにADHDでは衝動統制を親に丸投げし、ASでは過度の依存を当たり前と思い込む結果になるからである。
「空気」で衝動や愛着をコントロール出来ない以上、発達障害のケアの基本方針は、「言語的な説明と納得、合理的な行動のコントロールを体得させる」こと以外に無い。
思春期以前に、「ダメなものは例外な くダメであり、その理由は合理的根拠があるから」という認知と行動のシステムを親を中心とする環境から体得させることで、思春期以降の不適応を最低限にすることが出来る。
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受動型ASの人は現実的な想像力が苦手である。自分の「夢」はあっても、それを実現する具体的現実的な道筋をイメージすることが非常に困難なようだ。
その結果(か原因かはまだ私は考察中であるが)、「実際どう行動するか」については受身となり、周囲からのアクションに応じてリアクションとして行動するパターンとなる。
そこで私は受動型ASのケアとして、「パッケージ方式」を考案した。
すなわち「目標とそこに至る具体的な道筋を含んだパッケージをワンセットにして選んでもらう」という方法である。
実際に本人といくつか検討してみた。意外に使えそうで、イメージをここに書いてみよう。
パッケージA 「多数派と同じ普通」。
普通に登校し普通に高校や大学に行き普通に� �事をする。
パッケージB 「友達と同じ」。
友達の多くが選ぶ進路と同じ方向に行く。
パッケージZ 「引きこもり」。
ダラダラと登校も勉強もせず昼夜逆転生活でゲームばかりして18歳まで過ごし、その後親に追い出されて途方にくれる。
あるいは親に依存したパラサイトとしてずっと引きこもり続け、50歳過ぎて親がついにダウンした段階で途方にくれる。
BとZとの間に、「本人のこだわり、好きなものをゲットするために努力する」ようなパッケージを具体的に考えて並べて行けばよい。
何名かと検討してみて分かったのであるが、受動型ASの人は実は「本当は普通から離れる不安が非常に大きい」。また、「好きで引きこもりの道に入っている訳ではない」。
このあたりもADH D(や積極奇異型AS)からの類推が当てはまらないから注意が必要だ。
言葉としては同じようでも、ジャイアンや積極奇異型の言う「普通」とは意味していることが全く違う。
ジャイアン型ADHDや積極奇異型ASの場合は「多数派に合わせた普通」はよほどのストレスを覚悟してはじめて選択肢になりうるが、受動型ASでは逆に楽な選択肢であるという根本的な違いがある。
パッケージZも有効なようだ。受動型ASの人は、(将来を考えることまで愛着の対象たる親に丸投げするから?)今現在の親に依存した生活と将来の現実的な問題を具体的に結びつけての想像が非常に困難なようだからだ。
実際にこう並べてみてはじめてイメージできるようなのだが、受動型ASの本人も「AかBが一番楽でストレスが少ない」という根� ��的な事実にたどり着けるのだ。
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子供の問題行動や衝動性などがあると、良く「愛情不足」という言葉が出てくる。
私はそれを見るたびに「安易に言うな!」と腹立たしく思う。
この表面的な見方の根本には、「ある程度満足するまで愛情を親などから与えれば正常化して問題行動は治まる」という非常に根拠の無い前提が存在し、実際この前提まで含めて世間の多くの人は説得力があると認識しているようだ。
マッサージ、タッチは何ですか
発達障害支援の現場で、親などの相手が根負けして折れるまで激しい反抗を続けるジャイアン型ADHDの子供や、愛着の相手に100パーセントを当たり前に要求する受動型ASのケースを見ていたら、「子供はある程度愛情を受けたら満足して自立する」等という前提は全く意味を成さないことがすぐに分かる。
実際ジャイアンの子供を「よしよし」となだめたら、どんな悪さをしていても、「その前に叱られたことは完全に忘れ去られる」と考えるべきであり、また、受動型ASの子供は母親が「察して合わせる」ことをすればするほどとめどなく母親に理不尽とも見える要求をするようになって行く。
激しい衝動性、非常に表面的には親などに「かまってほしい」と解釈が可能な行動を、無理に多数派的に理解、説明しようとした場合にこういう「表面的」な想像が出てくるのだろうが、もともと多数派の世界には「そういう過剰な要求はしない」から理解が困難なのだろう。
私の理解はこうだ。もともと多数派の世界では衝動統制は「ビルトイン」された「空気」によって行われる。幼児でもどこまで駄々をこねたら良いか「周り」を見ていることが多い。
多数派の親は「無下に無視するのは冷たいので」しばらくは駄々をこねる子供の相手をするが、ある程度相手をした後まで子供の要求がしつこいと、言い方や顔の表情などの非言語的な部分で「これ以上は聞かないよ」というメッセージを伝える。
子供はその非言語的なメッセージを察知して、最初は何度か失敗しながら、実際にひどく叱られる場合と要求が通る場合と、引っ込めたほうが良い場合の学習をする。
こういう多数派の「空気による調節」による衝動統制を前提にすれば、大人の側がある程度面倒を見れば、「いろいろな空気による調節と同様に」子供の側も状況を察知して、それ以上の要求をしなくなる。
そのことを「愛情に満足する」とまた表面的に解釈するのだが、実際は「これ以上は難しいと折り合いをつけて諦める」というのに近いだろう。
愛情は不足してもいないし、満足しているわけでもない。
表面的にそういう見かけになる現象はあるにはあるが、そういう説明をしても何も解決しない。
特に発達障害のケースには、「180度誤った見立てと助言となる」ということが重要だ。
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ある受動型ASの経過で、非常に厳しい環境で1年過ごした後で、WAISⅢの不得意項目が明らかに上がっていたケースがあり、考えさせられた。
受動型ASは本人からの動きが少ない。「好きなこと、自分のこだわりのことだけはちゃっかりゲットするが、興味の無いこと、どうでも良いことは世話を焼いてくれる愛着の対象に丸投げして全然考えない」様に周囲からは見える。
例えば高校受験やいじめによる不登校などの場合でも、「本人のペースで」というケアをすると全く勉強もしない、登校さえしない、どんどん引きこもりのほうに向かっていく。
このケースは遠いこだわりの目標実現のために非常に厳しい道を選び、途中こだわり上は絶対やりたくない勉強を状況から強制的にさせられるという立場にあり、 その結果、IQの形が変わった。
IQの変化は、確かに「厳しい状況でトレーニングした分だけ上がった」と理解できるものであった。
発達障害は興味の無いことは「出来ない」。実際多数派の人の数倍の抵抗があり、相当の意識的努力をしないと遂行できない。私は「脳が向かない」という風に説明することにしている。ADHDの場合は、コンサータやストラテラの力を借り、ASの場合は何とか頭の中で最終目標と関連付けてモチベーションを工夫する。
当然の帰結として、「嫌いなことは伸びない」という事実はあるだろう。私が今回目にしたのは、「嫌いなことでもそれを押し切って努力した場合は伸びることがある」ということである。
また受動型の特徴は、「友達関係などの周囲の雰囲気では動けることも多い� ��ということで、現実的には例えば受験ならば塾に入れたりといった方法は有効である。
ではケアはどうすべきなのだろうか? 親の立場に立てば、本人のために強制してでも実力は伸ばす努力をさせたい。
他方で「発達障害への理解」の観点からは興味の無いことを強いると二次障害が悪化して二次的な精神疾患などになる可能性が想定できる。
私がHPに掲げている「発達障害ケアの基本原則」では、「思春期以降に本人に選ばせる」ということにしているが、受動型の場合、「本人が自己責任で選ぶ」形を作りにくいことがさらに困難となる。
例えば積極奇異型の場合は本人から強い社会参加の希望が出てくることが多いので、「それと引き換えに妥協」という形で考えることが出来る。
受動型の� �は希望を聞かれれば比較的明確に答えるが、「それを叶えるために自分がどう動くか」を考えることはしないことが多い。通常周囲に丸投げになる。
だから上記の「自己選択」を迫ることも困難となり、ケアする立場は悩むことになる。
私は今のところ、「パッケージになった環境を丸ごと選ばせる」という方法しかないかと考えている。個々に選べるオプションがあれば、興味のあることしか選ばないに決まっている。それでは結果として引きこもりになるしかなくなってしまうだろう。
受験の際の「塾」もそうだが、自分の興味で選ぶのはある「場」であり、その「場」で要求されることはするしかない。この形であれば雰囲気で動く受動型の人も受け入れやすいだろう。
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謹賀新年
2012年の年頭所感
無抵抗の食べうつ病睡眠の兆候は何ですか
面接に長時間を要する診療スタイルがいよいよ限界に来て、一年の間に3度も異動することになった。
3月まではノーブルメディカルセンターで医師数が少ないための外来や当直、指定医不足などの過重負担で自分から契約を切り上げた。
4月から勤務するはずだったまるクリニックが一年目の集団的個別指導で致命的な指摘を受けたことで急遽閉院になり、新規開院まではモモクリニックで3ヶ月勤務、7月にまえはら心療内科で外来を再スタートした。モモクリニックもまえはら心療内科もモモクリニック院長と「会長」なる人が仕切っていて人事などは院長もコントロール不能の状態であった。
精神科訪問看護で無料の弁当をサービス� ��持参したり、訪問看護で看護師がプラセンタの注射を無料で打ったりするという「会長」様の「経営」方針に従わなかったために、早くも8月に契約時からクリニックの上に借りていた部屋に関係する強引な「追い出し」が始まり、部屋の件の話が突然モモクリニック院長から「経営をどうするか」という質問が来て、結果として帳尻を合わせる計画を提示、それが達成できなければ私が退任するという約束をする羽目になった。
その段階では3月までは勤務するつもりで居たが、もっと早く異動するようにという「圧力」もあり、私自身もこの「会長」さんとやって行く自信がなくなったので求職活動をしていると、以前勤務していたうるま記念病院で精神科医が急死されたという話で急遽1月より異動、正月休みも引越しでつぶれる 結果になった。
結局「偏屈に生きているので居場所が無くなる」という発達障害の必然的な経過を自らなぞることになっている。
「医師不足につけ込んで自分の好き勝手をやり続けているので、良質な環境に巡り会える訳が無い」という目新しくも無い事実を繰り返しているだけである。
まあ最初から保険診療で成り立たないことを確信犯でやっていることなので仕方が無い。
年末は29日に自殺企図を繰り返している発達障害の中学生がやっと母への依存が限界となって「児童相談所に行ってみる」と言い出したので県の児童相談所と交渉、警察に本人を保護してもらい児童相談所に通告する方法で何とか深夜23時を過ぎて一時保護になった。
警察でも一時保護所についてからも何度も自傷や自殺企図が続き、� �局処方を持参した30日も昼から夕方まで一時保護所で過ごし、出勤した児童相談所の所長と処遇を協議した。自殺企図があるために精神科病院に移すことを検討したが、一時保護は切れてしまい、中学生では親権が強いために虐待している(と本人が言う)親が同意しないと入院も治療も出来ない。
結局児童相談所の所長の涙が出るほどありがたい配慮で引き続き児童相談所で看ることになり、それで私はいつでも一時保護所に向かえる体制で正月休みを過ごすことになった。
年末30日と31日がこのケースの関係でほとんどつぶれたために単身赴任の居室と診察室の機材の引越しが間に合わず、正月は開けたが3日まで休みなしになりそうな状況。
今年は休みを減らすことにした。
こんな立場で「自分の時間」を� ��求するのは明らかに分不相応で、仕事が続けられるだけでありがたい立場なので、二つの大きな知的障害の嘱託医の業務と、那覇少年鑑別所の診察は休みだった月曜に回した。
もうローンが終わるまでのあと数年は、休みは身体的な最低限の休養と、家族のために過ごすだけにして、その残りは「全部働き続ける」モードで行こうと今は考えている。
うるま記念病院(火水木金)は午前が病棟と入院時診察、認知症の外来など。午後が発達障害などの外来。土曜は那覇市のクリニックでどうしてもうるま市まで来られない生活保護世帯の7、8名を「一日2人は外来を診させていただく、残りは関連施設の認知症のケアをする」条件で非常勤勤務。
うるま記念病院も6月までの契約(更新は出来るというが)、那覇 市のクリニックも1月は「試用」の状態で、まだまだ安心はとても出来ない。
と言うわけで、土曜に来院されていた学生さんなどには大変申し訳ない。平日は午前の診察も出来ません。新患は那覇市は枠が決まっているのでうるま記念病院のみ。これまでと同じく私にメールで相談の概要を伝えてもらい私自身が「振り分け」を行います。
メールの方法は、下記の私のHPの「メール相談」をクリックするとメールソフトが開きます。ここに書き込んでも、誰か分からないので、診察希望の方は必ずメールで名前を書いて下さい。
また携帯から書く人は、「パソコンからの返事が届かない」ことが良くありますので、必ず「返事が届く」設定にして下さい。(返事が届かない人は設定のせいのことがあります)。
ま� �こんな風に私は生きています。これから先も綱渡りで行けるところまで行きます。
本年もよろしく。
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前略メールを拝見しています。お返事遅くなりごめんなさい。
まず最初にメールだけで診断や責任ある助言は困難であることをご理解ください。
以下は私のメールだけの少ない情報からの「印象」と「想像」です。
発達障害と躁うつ病は全く違うものですが、合併することもあります。
躁うつ病だけなのか、背景にADHDがあるのかは、かなり情報が無いと判断出来ません。
躁うつ病の一番の治しにくいところは、「躁状態を病的と考えない」ことです。
本人は躁状態に戻してくれと治療を要求し、医師ともうまく行かないことが多いです。
その否認にADHDが「都合の良い口実」になある場合には、仮に合併であっても躁うつ病の否認の状態でADHDの診断はマイナスにしかなりません。
診断は現実逃避の� ��実にするためにあるのではなく、自分を変える参考とするためにありますので、ADHDの当事者として腹立たしいですね。
診断には、その診断を本人がどう受け止めてどう自分の人生に生かすか?
、医療の側からすると、「診断が本人の回復にプラスになるのか否か」を医師の責任で考える必要があります。
「治療のゴールをどこに選ぶか」の問題にも直結します。
例えば、「家族との関わりも断って山小屋に住み、最低限の年金などで一切社会と関わらないで生きる」という生き方を本人が選ぶとすれば、治療の必要は無いとも考えられます。その場合は、躁うつ病の診断も本人が困らなければ不要でしょう。
何が馬がよだれを垂らすようになり?
逆に、少しでも家族や社会と関わって生きるつもりであれば、周囲に迷惑をかけない最低限のコントロールは必要なので、(このケースでは過去に入院までされたことがあるということなので)躁うつ病として服薬することは必要でしょう。
私が主治医なら本人に上記の現実を突きつけます。
あなたは「服薬の治療を続けない限り今後は家族として関われない」と本人に突きつける準備をされたらよかろうかと思います。離婚していれば、無理やり関わろうとすれば警察対応でストーカーとして処罰してもらう体制を作ります。
関係しうる親族全員で相談されて、合意を作っておきましょう。
治療を拒否すれば、実際に今後一切関わら� �いことになります。
(断固として突きつける姿勢が必要で、この際一切の温情は逆効果になります)。
その現実を突きつけられて、服薬して家族とともに過ごすのを選ぶか、拒否して社会的に完全に孤立することを選ぶかは本人の選択です。
都会のホームレスなどは、後者の人も多いのではないかと私は想像しています。
「一つの生き方」として無いわけではありません。
とりあえずお返事まで
12月4日 YANBARU
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大体ADHDの母親で、しかも母子家庭であれば、「ネグレクト」になる可能性を想像する必要がある。
例えば「仕事と両立」は、口で言うのは簡単だがこんな難しいことは無い。
私は母子家庭で実家の兄弟や親のサポートが乏しい場合で子供が多い場合はいったん生活保護を申請することも勧めている。
それと、大事なことは子育て支援の体制である。
母親たち自身は大きな声で言いにくいと思うので、私が発言しよう。
「ADHDの母親には母親業の休みが必要だ」
実際にそうであるのだ。子供のほうに知的障害などがあって児童デイサービスを週に一回でも使えているあるケースは、ネグレクト気味で危なかったのが、母子ともに心身ともに健康になり、施設入所などを想定していたのが不要にな りつつある。
一般的な背景でよく見られることは、
1.元夫はASやジャイアンなどの発達障害であることが多く、DVがあったり、離婚後も養育費すら取れないケースが多い。
2.実家の母親もジャイアンであることが結構あり、表面的な責任逃ればかりして子育ての実質的なサポートは期待できない。
3.実家や親族とは決裂しているケースも多く、ほとんどは遠くに居たり、サポートは本人のほうから求めるのが困難となっている。
4.妊娠に慎重にならないことが多いので、子供の数が多い。
5.子供の父親も発達障害であることが多いので、子供自身も発達障害のことが少なくない。
ADHDの母親たちは孤立無援で非常に大変な子育てをしていることが実際に多いのだ。
上記の1から5までの事 情を考えれば、結果として「ネグレクト」になってもADHDの母たちを責めることはできない。
というわけで、上記の1から5まであるようなケースはとりあえず生活保護を申請し、母親は子育てに専念できる
環境を作る。次に行政のサービスをありったけ使えるだけセットアップする。訪問看護、子育て支援、ヘルパー、
子供に発達障害などがある場合は特別児童扶養手当と児童デイサービスがどうしても必要だ。
福祉事務所の病状把握が来たら、私は「保護費をケチって子供たち全員乳児院や養護施設に保護になったら、あなた達の市町村からはお金は出ないかもしれないが、国が支払う公的支出は数倍になる可能性があります」「ネグレクトで保護にはならなかったとしても、将来子供の数だけ就労できない人になる� ��能性もあります」「母親一人子供たちが安定するまで子育てに専念できるようにして、子供たちがちゃんと育つなら公的支出としては一番効率的でしょう」
と答えることにしている。
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最近のあるケースとの面接での話。依存型ジャイアンだったが劇的に合理的思考を回復した人に依存型の意味を説明した。そういう場面が来ること自体私も予想していなかった。
依存型ジャイアンは驚くほど良くなることがある。
●管理と依存の悪循環 「心配だかから任せられない」という管理と、「どうせ相手がやってくれるから考えなくて良い」という依存は「共依存」を形成する。この形が出来上がると、脱出できなくなる。
→ 依存させてきたほうは、「任せてどうなるか分からない」という不安に耐える必要がある。依存してきたほうは「自分で考えないといけない」「指示をしてくれない」という不安に耐えなければならない。本人は自分で考えて出来る様になった。一歩大きな回復をした。< br/> 本人が今見ているのは以前の依存していた本人の合わせた妻のスタイルを裏返しに見ている。
●断片的な人と一緒に居るとどうなるか? 「一度話して理解したことを少ししてからまた始めからやり直さなければならない」ことはがっかりすることである。
本人は悪意は無いが、以前はそのたびに場当たり的に生きていたので、結果として、妻は「また同じことを言う」経験を何度も繰り返すことになった。その間に精神的にボロボロになっている。相手のために力を注げば注ぐほどボロボロになる。
→ 今本人に返ってきているのはその長年たまりにたまった怒りであると考えると理解できる。
断片的な人は全く悪気は無いが、知らないうちに周囲の人を非常に精神的にボロボロにするところがある。「不幸� �すれ違い」。
この説明で理解できるところまで合理的思考が回復したことが私も驚きだった。
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ASは非言語的な表現を重視し、以心伝心を好む。
AS流の独特の深読みをして、言葉ではっきり言うことを嫌う人が多い。
多数派(ADHDとはもっと)とは言葉の使い方も異なり、多数派のほうから見れば「空気が読めない」となっているにもかかわらず、言葉で伝えようとしないから余計にコミュニケーションはうまく行かなくなる。
AS本人は多くは自分は空気が読めていると思い込んでおり、「多数派とは根本的に読み方がずれている」ことには気付いていない。
逆に相手もASであったりすると、本当に何も言わないくても表情や目くばせだけで、あるいは最低限の象徴的な言葉だけボソッと言うだけなのに多くの情報を伝えられたりもする。
このことは、実は思春期の親子関係には深刻な意味を持つ結果になる。
AS親は、顔を合わせるだけでAS子に親自身の価値観を「押し付けている」ことになってしまうのだ。これは上記の「表現方法の特徴」から直結して出てくる結果である。
AS子のほうから見れば、明らかに理不尽な強制であり、思春期から青年期になれば、やはりAS的に反抗してやり返す経過になることも多いだろう。
実際に行動で一番AS親の嫌うことをこれでもかとやって見せる等。このあたりの行動はASの場合は「境界性人格障害」という人たちとほとんど区別がつけられないような行動になる。
この反抗はAS親を激しい不安に陥れる。
「AS親への意図的な嫌がらせ」なのか?
理解できないことへの大きなストレスがかかり、うつ状態となったり身体症状も出てくる。
AS子が異性でAS親の愛着の対象であった場合で、AS子に彼女や彼氏が居る場合は、その彼女や彼氏への異常な攻撃になることもちょくちょく見られる。
愛着の対象のAS子は、AS親から見て「悪者に出来ない」。
だから妄想的にまでなって「あの人にたぶらかされてこうなった」と思い込む結果になる。
解決方法は、「実際に同居を解消して自立させる」しかないと私は考える。同じ空間に居る限り、態度や表情を通して、「支配」になってしまうのだ。
親がジャイアンの場合と子がジャイアンの場合は、少し違う事情でかなり違う経過になるので、別に考察することとする。
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引きこもりになるためには、A「もともと社会に出る必要性を感じないか考えない」か、またはB「社会に出る必要性を感じてはいるが自分で正当化する言い訳を持っている」ことが必要だ。
例えば積極奇異型ASや一番になってほめられたいジャイアン型ADHDは、引きこもっていること自体が非常に不安になり、そのままでは引きこもれない。だから例えば重症の強迫症状やうつ状態、摂食障害、パニック障害などとなり、「それらの二次的な症状の結果出られない」ことはある。これは二次障害型引きこもりと呼ぶことにする。
Aには、「愛着の対象の親などへの依存さえ確認できれば社会は関係ない」受動型ASがまず挙げられるだろう。このタイプは学校と家で極端に行動が変わり、ほとんどは学校では自己主張を� �ないが、家では打って変わって親などへの依存的な要求(時には理不尽な)が非常に激しい。
他には「先延ばし」で、社会参加できない自分を責めつつ、「そういうことを考えること自体から逃げる」ために「ADHDが全てを先延ばしにする」という状態が考えられる。このタイプは「他人なら平気だが知り合いに会えない」という特徴がある。
もう一つ、外に出られはするがちゃんと働かないでニートになるタイプには、支配的な親の顔色だけを窺って育ち、自分で合理的に考えることが出来ないADHDのタイプも広い意味では引きこもりに似た状態とはなる。
この一群は「超場当たり的な思考」が特徴で、合理的な思考が出来ないために「自発性」や「責任」を理解出来ず、結果責任を負う必要がある就労や結婚、� ��育てなどから逃げて責任を肩代わりしてくれる依存相手を探す。人を利用対象としか思っていないところと、場当たり的な認知と思考がADHD的であるが、表面上は人の顔色を窺って生きるので、「一見ADHDに見えない」ことが多い。
Bは、言語性IQがむしろ正常よりも高いケースも多いのだが、言語性IQ >> 動作性IQ で、「言い訳ばかりして現実には何も前進しようとしない」というADHDの一群が居る。
クリニックに相談には来ても、引きこもりを正当化する理屈の厚い壁の背後に隠れ、どんな助言も「聞く耳を持たない」という見掛けになる。
IQを測ってみると上記のパターンが多く、おそらく「これまでの人生で悉く、考えているほどに現実の結果は満足できなかった」という経験からこのスタイルが出来上� �ったのだろうと想像できる。
受動型ASの何よりの特徴は、「平気で引きこもれる」ところだ。生きる関心はほとんど特定の愛着の対象の人に対してのみに限られ、広い世間、「社会」にほとんど関心がないケースも多い。
親がどんなに年をとっても、本人のために全て世話をすることを当たり前に要求し、出来ないと平気で親を責める。何か親が指摘すると「親のせいでこうなった」と逆切れし、思春期から何十年経っても全く同じパターンが継続する。
このタイプに限っては、「脳の働きのレベルで依存が当たり前」である本人から自発的に引きこもりを解消に向かう可能性は非常に少ない。ケアには周囲からの強い介入が必要となる。困るのは親で、親の相談を続けながら、私は半ば強制的に親子を別ける環境調� ��を私は工夫する。親が体力的に対応できなくなる前に、精神的につぶれる可能性も大きいからだ。
二次障害型引きこもりは、表に二次障害が出ているので、強迫性障害やうつ状態、パニック障害などの症状で心療内科や精神科を受診する。
ベースに発達障害があるので、多数派のうつ病とは違い、「抑うつ神経症」と診断されたりする。役場の手続きなど納得できないことは平気でクレームをつけたりするので、うつ病には見えないからだ。
強迫症状も、摂食障害も、パニック症状も重症なことが多く、難治性の経過をたどる。その理由の一つは、「これらの症状に引きこもりを正当化する意味がある」ということで、「治る」ことは社会に出なくてはいけなくなることを意味するため、治療にも抵抗し、回復し� �うになると別の症状が出てきたりする。
だから根本的に治すためには、同時進行で社会参加への不安を少しずつ取り除き、引きこもり自体を卒業できる現実的なヴィジョンを示して本人の生き方のスタイル全体を引きこもりを続ける方向性から転換する必要がある。例えば職業訓練校で新しい資格を取るとか、共依存的な家族であれば単身自立するとか、さまざまな環境調整で大きなスタイル転換を準備しつつ症状を治すことが一番有効な対策である。
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